ヨーガの核心へ
いよいよ、古典ヨーガにおいて核心とされる3つの部門(内的ヨーガ)についてのお話に入ります。普通、ヨーガといえばアーサナ(様々なポーズ)を思い浮かべる人が多いのですが、すでに見てきたように、それは8段階のヨーガのうちのごく初めのもの、3段階目にあたるものでした。そこから、呼吸法、感覚の制御ときましたが、それらは、ヨーガの外的部門(外的ヨーガ)と呼ばれ、あくまで準備段階にあたります。
今回解説する凝念からあとの3つ(凝念・静慮・三昧)は内的部門とされ、これこそが、古典ヨーガの内部、中心とされるのです。それら3つをあわせて、綜制(サンヤマ)とも呼ばれており、一連の瞑想技法とも考えられています。
昔はダーラナー=ヨガ?
古典的なヨーガの聖典のなかには、ヨーガについて、「知覚器官をしっかりとつかまえて不動のものとすること」というように説明するものもあります。このことから考えれば、ここであげている6段階目のダーラナーが、ヨーガの中心的な行法であると考えられていた時代があることがわかります。
しかしながら、前回解説したように、また別の聖典では5段階目のプラティヤハーラ(制感)をヨーガとして考えるものもありました。これらのことから言えるのは、その聖典が書かれた時代によって、ヨーガとは何か、特に何に集中すべきなのかが変化してきたということです。現代社会ではアーサナが中心的なものと考えられがちですよね。
他方で、現代における古典ヨーガは8段階のヨーガを洗練させることで、その全てをヨーガと考えるようになりました。さらには、日常生活これ全てヨーガ!と考えられるまでになると素晴らしいのですが、それを本当に実践できるようになる頃には、仙人の域に達しているかもしれませんね。ここでは改めて、『ヨーガ・スートラ』から、「ヨーガとは、心の働きを止滅することである」を思い出しておきましょう。
プラティヤハーラ(5段階目)との比較
ここであげるダーラナーとは、具体的にどのようなものか、プラティヤハーラと比較することで明確になってくると思います。
プラティヤハーラは、外側に向いている自分の感覚を制御して、内側へと向けること、もしくは、外側のものに引っ張られ、ひっ付いてしまった感覚をそこから離して、感覚を引っ込め、内側に向けて解放すること、という言い方が当てはまるものです。その一方で、ダーラナーは、より積極的に、何かの具体的な対象物に心をしっかりと向け、そこからブレないように固定するという技法になります。
ダーラナーの実践
では、実際に、自分自身でこのダーラナーを行うとしたら、何をすれば良いのでしょうか。まず前提として、日々ヨーガの智慧を学び(ヤマ、ニヤマ)、アーサナをとおして身体は安定し、プラーナーヤーマをとおして呼吸は静かに落ち着いて、清浄なエネルギーに満ちていること。プラティヤハーラをとおして、感覚が外からの刺激に引っ張られずに、きちんとコントロールされ、内側に向いて軽くなっていることが重要になります。
それらの達成具合を確認できたら静かに瞑想に入って、ひとつの対象、例えば月を思い浮かべます。月をしっかりとイメージできるようになりましょう。そのために、どれくらいの期間が必要でしょうか。人によっては1日でできるかもしれませんし、場合によっては毎日の積み重ねから1週間以上かかるかもしれません。
それができるようになったら同様に、月の大きさ、月の表面の様子、月の明るさ、月の重力、月までの距離、月の満ち欠けなどを対象にします。それらは全て、次々と思い浮かべるのではなく、ひとつひとつ、じっくりと、本当にそれがリアルなものとして実感できるくらいに集中して思い浮かべる必要があります。
いかがでしょうか。それぞれの月の特質に心がしっかり固定されていれば、それがダーラナーの実践ということになります。
神聖でない対象は避けるべし
このとき、集中する対象は、できるだけ神聖なもの(サットヴァ)である必要があります。心を騒がしいもの(ラジャス)にしてしまったり、その逆に重苦しいもの(タマス)にしてしまうようなものは避けるべきでしょう。
ラジャスの特徴をもつものとは、多くの場合、欲望の対象を意味します。たくさんのお金、高級な宝石や自動車、流行りの洋服、美味しいもの、憧れの芸能人のイメージなども含まれるでしょう。それらに執着していればいるほど、そのようなイメージは心を騒がしく掻き立て、決して静かなものにしてくれません。現代の資本主義はそのようなイメージを外側から振りまいて、私たちの心を刺激して、決して休まらないようにしています。
では、タマスはどうでしょうか。嫌いなあの人、やらないといけない仕事、健康にたいする不安、自分の身体のコンプレックスなど、考えると気が重くなってくるものやこと、それでいて、考えはじめるとそこから心が離れなくなってしまうようなものがあると思います。それらは心を重く、鈍くして、私たちの意識を曇らせてしまいます。これでは、外的ヨーガで健やかな身体を手に入れたとしても、何にもなりません。
神聖な対象と指導の必要性
これら両極端なふたつの特質を離れ、神聖なもの、例えば蓮華の花、チャクラ、オームの文字、神経経路(ナーディ)、聖人の姿などに瞑想することが、さらに次の段階の瞑想へと、私たちを導いてくれるはずです。しかしながら、急にそのようなものをイメージしてくださいと言われても困ることがありますよね。そのときは、できるだけ自分の生活とは関係ない自然のもの、例えば上であげた月とか、太陽、山、海、空、星、炎、水、土、風のようなものをイメージすると良いでしょう。
くれぐれも、その対象にまつわる楽しい思い出とか辛い記憶を思い出して、一喜一憂しないように気をつけてください。そうした心の揺れを制御することが、ヨーガの重要な鍛錬でもあるのです。慣れないうちは、ぜひ、どなたか先生のもとで指導をうけてください。もちろん、私が主催するLila Bhuwanaも有効活用いただければと思います。
ハタ・ヨーガとのつながり
実は、ダーラナーは、ハタ・ヨーガの技法のひとつとしても登場するものです。ハタ・ヨーガというと、現代では様々なポーズをするヨガのことを思い浮かべる人もいるかもしれません。確かに、古典ヨーガに比べると、アーサナをより重視した体系であると言うことは可能です。しかしながら、実は、肉体の浄化技法や、エネルギーの流れの統制(ムドラーやバンダ)、各種の瞑想技法などを独自に体系化したという点で、アーサナだけに留まるものではありません。
そのようなハタ・ヨーガの瞑想技法のひとつに、以前プラティヤハーラのところで触れたナーダヌサンダーナがあります。改めて、もう少し詳しくみてみましょう。「ナーダ」は音、「アヌサンダーナ」は探求を意味し、「ナーダヌサンダーナ」で「音の探求」という意味になります。このなかで、耳に聞こえない音「アナーハタ・ナーダ」、具体的には身体内部の音、特に、心臓の音に集中して瞑想するというものが、ハタ・ヨーガの瞑想技法のひとつとなります。これが、ここでいうダーラナーと同様の瞑想ということになります。
次回は、ダーラナーをとおして一点に集中した心を、広大な意識へと持ち上げていくディヤーナについて解説していきます。